教えることは動かすこと

教育という言葉がある。
意味は、その人の知識を増やしたり、その人に技能を身につけさせたり、人間性を養ったりしつつ、その人が持つ能力を引き出そうとすることである。
文字通り、教え育てることだ。
現在の教育現場では、「教える」ことばかり先行して「育てる」ことが、おろそかになっているように思われる。

まさに、その人が、本来持っている能力を引き出していないのだ。知識は詰め込めば、詰め込むことができるが、それを知恵に変えられないでいる.
単なる知識を知恵に変えるのは、本人の能力にかかっている。
その能力を育ててはじめて「教育」となるのだ。
看護する方法を教えるという行為も、同じことがいえるだろう。現在の看護の現場では、新人に「プリセプター」が付く。プリセプターとは新人1人に対し、新人の前に入った先輩に位置する看護師が1人つき、マンツーマンで教育をすることだ。
このプリセプターには賛否両論あるが、個人的には良いことだと思う。

たとえば、寝たきりの人を看護する場合、
「身体はこのようにして、拭いてあげるのです」って教えても、技術を習得しただけで、なぜこのようにするのかという深い部分まで、指導しないと育たないのだ。
山本五十六の言葉を借りれば「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」である。
この「ほめてやる」ことで「育てる」わけだ。

「教える」ということは、言い換えれば、自分の分身を創ることだ。
まったく別人に、自分のある部分を移植する行為だともいえる。
さらに、山本五十六語録を拝借する。「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず」である。
さらには、「やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず」である。
看護の現実を「教える」には、そこまでの気構えが必要だ。

プリセプターとは
参照:http://www.pharmacist-jobchange.com/